最後の見立てへ−
ポコポコ

「―まったく、面倒な事を押しつけてくれたものだ…あの年寄りども!」
 長い黒髪を無造作に一つに束ね、顔の半分近くを隠すくらい大きな、暗い色のサングラスをかけた超級風水師は一見見慣れた、しかしよく見ると自分がよく知っているそれとはどこか微妙にバランスが狂っている九龍城に降り立つと、そう一人ごちた。
 その言葉とは裏腹に風水師の声にはどこか楽しげな調子が感じられたが、サングラスのせいで表情をまるで読みとることが出来なかったので、本当の所はどうなのか誰にもわからなかった。
「まあ、いいさ。陰界とは言っても所詮は風水の見立てだ。いつも通り仕事をすればいいだけだ。」
 そう考え、しばらく辺りを見回した後、風水師はゆっくりと人のいる方へと歩き出した。その「見立て」がここ陰界ではどのようなものなのか?超級風水師はその時まだ何も知らなかった…
「…さっさとこんな仕事終わらせて一刻でも早く元の世界に帰りたいものだな…」
この異様な世界の中でただ一つ落ち着ける場所―龍城飯店のバーカウンターに座り、風水師は疲れた声でそう言った。
「どうした?まだ一つめの神獣―白虎を見立てただけだろうにもう音(ね)を上げるのか?」
 カウンターの奥から隻眼の男―この龍城飯店のマスター・リッチが声をかけた。一瞬「むっ!」とした雰囲気を漂わせて風水師はリッチの方を見たが、不意にその言葉を思い返して考え込んだ。(そういえば何なんだ?この不快感は…)
 たった今、四神獣の一つである白虎となる人物の見立てを終えた超級風水師はとてつもない不快感に襲われていた。そう、この陰界では風水の見立ては自然の地形ではなく「人」を神獣として見立てるのだ。
 今までにも数多くの見立てをしてきた超級風水師だが、見立てが終わったあとでこんな不快感を覚えたことは今までに一度もなかった。その不快感が超級風水師をして弱音を吐かせたのだ。
 そして更に風水師を不快にさせる存在がもう一つあった。それは人が妄想の果てにその妄想した物になってしまった「妄人(ワンニン)」である。この「妄人」の存在が神経を何故か逆なでしてやまないのだ。その不快感を振り切るかのように頭を軽く振って風水師は店の外に出ようとした。が、不意にその足を止めて
「…リッチ…」
 と、振り返らずにリッチに声をかけた。
「?」
 思い詰めた風水師の声の調子にリッチが怪訝な顔をする。
「あんた、妄人についてどう思う?」
「いきなり何かと思えば…妄人か、まぁ、あれはあれで幸せな奴もいるのかもな。」
「幸せ?」
 リッチの意外な答えに風水師は思わず聞き返した。
「ああ、自分の好きな物になるのだからそれはそれで良いのかもしれないぞ?」
「…そんなものかねぇ…」
 釈然としない物を感じながら次の見立てのために超級風水師はバーを後にした。
 やがてそのリッチ自身が不快感の原因となってしまうことをまだ風水師は知らなかった―

「リッチ…あんた…」
 超級風水師は一瞬自分の目と耳を疑った。
 白虎の見立てを終え、更に朱雀の見立ての準備のために行っていた過去から戻ってきた風水師を待っていたものは、妄想が吹き荒れる荒れ果てた九龍フロントと、シェーカーの妄人となってしまったリッチであった。
「…そうか…今やっとわかったぞ。この不快感が何なのか…」
 誰もいなくなった龍城飯店の中で、超級風水師はようやく気づいた。
「私は今まで超級風水師として、そして私個人として人の『死』と言うのを幾つも見てきた。みっともない死に方、尊厳ある死に方、色々な死を見てきた。だが、その時にでさえ悲しみはあるにせよこんな不快感はなかった。それは…皆それが『人』としての死に方だったからだ。」
 風水師は更に独り言を続ける。
「『人』は『人』として死ぬべきだ。決して妄人や風水―物や神獣となって死ぬべきではない!決して!!」
 目の前にあった今はもう何も映し出さないクーロネット端末のディスプレイに己の拳を叩きつけて、風水師はそう叫んだ。
「風水の見立て―今までは超級風水師として引き受けた仕事として行っているだけだった。だが―」
 きびすを返してドアの方に向かいながら風水師は自分に言い聞かすように言った。
「これからは違う…四天王、そして妖帝(ヤオディ)おまえ達には私を、そして他の何の罪もない人達をもこんなことに引きずり込んだ報いを受けてもらうぞ…」
 ドアの前に来ると風水師は陰界に来てから今まで一度も取ったことの無かったサングラスを外して、無造作にまとめていた長い髪をほどいた。それはまるで自分の持つ全ての力を解放するかのようであった。
「―こちらから打って出る、覚悟しておけ!」
 そう言い、ドアノブに手をかけ外を出ようとして、長い髪をなびかせて一度だけ中を振り返る。振り返ったそこにあったものは―硬い意志を秘めた美しい澄んだ目をした妙齢の女性の顔であった。
「それじゃ…これで多分ここともお別れだろうけれど…行って来るね、みんな。」
 誰もいない場所にそう言い残して、美しい女性超級風水師は残る見立てへと向かった―

 FIN.

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