九龍城砦スライド上映&講演会レポ


 九龍城に関する書籍の双璧といえば、 宮本隆司氏による写真集と、驚異の城砦断面図が目を引く「大図解 九龍城」。その「大図解……」のほうの著者、 鈴木隆行氏による九龍城の写真スライド上映と講演会が、先頃横浜にて開催されました。企画された方が、うちのサイトにもちょくちょくいらして下さるご縁で、私もお誘いを受けまして、でかけて参りました。

 会場は横浜の開港記念会館(リンク先: 近代建築散策 内コンテンツ) 。横浜開港当時の建物を復元した建築物で、見てのとおり赤レンガの雰囲気がすごくいいんです。内部も、落ち着いてて古びた感じがとても素敵でした。

 デジカメを持ってたんで写真を撮りたかったのですが、たまたまその日は、選管が来てて横浜市議選か何かの手続きをしてるとかで、あんまりカメラもってうろついてるのはマズいだろう、ということで断られてしまいました。ただ、普段は頼めば撮らせてもらえるようなので、近代建築のお好きな方は、ぜひ。

 当日、スタート時間の直前に会場に入ると、すでにほとんどの参加者が集まっていて、すでに九龍城探検隊による実測調査の様子をおさめたビデオが流れていました。しまった〜、こんな映像が見られるんだったら、ランドマークタワーの展望台になんか昇ってないで、もっと早く来たのに。

  会場の一角には、強制退去後の九龍城に残された日用品の数々がディスプレイされていました。城内で発行されていたというミニコミ紙を刷るためのシルクスクリーンの版、「吉祥如意」な(文言違ったかも)お札、学校の教科書らしきもの、妙に場違いなSW・ヨーダのソフビ人形。何の変哲もないそれらの日用品はどれも、かつてこれを日常で使っていた人がいたのだという独特の存在感に満ち溢れていました。「じつはこいつは、元は妄人だったんだ……」なんて言われたら、素直に信じてしまいそうなくらい(笑)。

 で、ほどなくスライドの上映開始。最初に映写されたのは九龍城ではなく、壊される前のベルリンの壁、そしてナチスの政治集会の様子など、一見無関係な数点の写真でした。不気味なほど整然と並んだ人々の写真に、鈴木氏がコメントを加えていきます。

 そしていよいよ、九龍城の写真。大きく映し出された城内の映像は、ネットや本で見る写真と違って、思った以上に臨場感がありました。写真集の写真はほとんどがモノクロで、廃墟的なイメージが強烈であったのに対して、ここで映し出される写真はカラーで、猥雑ながらも人間の生活の残り香のようなものが漂っている気がしました。

 写真に加えて、鈴木氏の語るエピソードがまた興味深いものでした。九龍城の住人が、階段で天井の梁に頭がぶつかりそうになるので、その部分だけ梁を切断してしまった話(でも左右の建物に支えられてるので、天井が崩れたりはしない(笑))。違うビル同士なのに、上の階に渡り廊下を設けてつなげてしまった話。鈴木氏たちの調査中、一度階段を昇るとなかなか元の階に戻ってこれないという話(3階から4階に上って、別の場所の階段を下りるとそこは3階じゃなくて2階とかだったりするらしいです)。そんなむちゃくちゃな、と思いつつも、次第に九龍城という世界がなんとも居心地よさそうに感じられるから不思議です。これって何となく、最初は異様に感じられた『クーロンズ・ゲート』の九龍城に、次第に心惹かれていったときの感覚に似てます。

 そして、ここに至って、冒頭のナチスドイツの写真についての種明かしがなされます。異端を排除し、同一性・均一性を強烈に打ち出したナチズムのありかたは、雑多・奔放・イリーガルが身上である九龍城の、ある意味対極であったといえるのです。

 スライド上映が終わって、いったん休憩。主催者さまの計らいで、「中華街で1番目&2番目においしいエッグタルト」と細工茶がふるまわれました。細工茶というのはその名のとおり、茶葉を束ねて細工がしてあるお茶。乾燥しているとコロッとした丸い塊なんですが、茶碗に入れてお湯を注ぐとあら不思議、お湯の中で花が咲いたように広がるのです。

 後半は、日本のTV番組「ぎみあ・ブレイク」で放映された、九龍城解体時の住民強制退去をめぐるドキュメンタリー映像。廃墟となった後の九龍城は知っていても、住民がいた頃の九龍城についてはほとんど知らないので、これは貴重な体験でした。

 九龍城取り壊しのため、立ち退きをせまられる住人。それなりの額の保証金は政府から支給されるんですが、城砦の外は家賃も物価も高く、それだけでは暮らしてゆけない家庭がほとんどなのです。また、城内で開業している医者・歯科医の大半は香港での医師免許を持っておらず、城砦を出れば営業できなくなってしまいます。そんなこともあって、立ち退きに対する住民たちの抵抗は根強いのですが、警察隊まで動員して、退去作業は容赦なく行われてゆきます。

 これまで、「クーロンズ・ゲート」をきっかけに、実像をまったく知らないままに、イメージとしての九龍城砦に惹かれていたのですが、ここには、それとはまったく違う、生々しさを伴ったリアル九龍城の姿がありました。知らず知らずのうちに、城砦を追い出される住民たちに感情移入してしまっている自分に気づきました(もちろん、映像自体がそういう視点から作られているというのもあるのですが)。

 古いものを取り壊して新しくする、汚いものをどけてきれいにする、でもそれで本当にみんな幸せになれるのか。だったらどうして、あの古くて汚い九龍城が、あんなに居心地よさそうなのか。本当はみんな心の奥底で、ああいう雑多で奔放な空間を求めているんじゃないか……そんなことを今、つらつらと考えています。

 実際に住んでいた人々が現実問題としての郷愁を抱く九龍城。そこに、遠く離れた場所に住む私たちが、自分たちの郷愁を重ねてしまう不思議さ。

 九龍城という存在そのものがもつパワーを、改めて感じることができた1日でした。


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