「私」と「彼」
- 九龍フロントに戻ると、そのNo.1声優の双璧たる青野 武氏演じる陰陽師との出会いが待っていました。おお、さすが青野さん。かっ飛ばしてるなー。イメージぴったり!さすがの風水師も思わず引いてるわ。
「ふーん、コニー楊の手鏡?持ってきたけど、これが何?へ?タイムマシン?過去の世界!?ち、ちょっと待てよおっさん、急にそんな、心の準備が……それより俺、隣の「美女大世界」って看板の店の方が気になるんだけど……って、人の話聞けよ!おい、おいってば……」
- てな訳で、過去の世界にやってまいりました風水師。ここに到って私の精神は、「あれ、新しい展開……そうか、さっきの会話がフラグになってたのね」などと考えるプレイヤーとしての「私」と、「やっと城内へ入れるぜ……とりあえず、美人の奥さんに頼まれた事だし、玄太とやらを探し出さないとな」などとつぶやくゲームの主人公としての「彼」に、完全に分裂してました。
大体考える事は似てるけど、決してイコールではない。表面的には「私」が「彼」を操作してる事になるのですが、この清朝のシナリオをプレイする頃には実は、「彼」の意思に引きずられる形で、「私」が「彼」の行きたい所に移動させているような感じだったのです。
- 主人公の姿が画面上になく、全てのキャラクターがプレイヤーに向かって話しかけてくる「完全一人称」の語り口であった事、テキストが他のゲームには類を見ないほどの深みを持っていた事、世界観やキャラクターに整合性があり、深い感情移入を引き起こせた事……分析視点で見ればいくらでも要因は考えつくのですが、心情的には「陰界が実際に存在したからだ」と考えたいです。そこに確固として存在する世界を探索するために、モニターの前から動けない「私」に代って行動するための「彼」という存在が必要だったと。
- そうでなければ、「彼」と「私」がイコールでない事の説明がつきません。感情移入した結果ならば、単純にプレイヤーの分身で良かったはず。それが自分の無意識の奥底から立ち現れてきたような、独立した個性の持ち主だったというのは、「陰界」の探索には単なるプレイヤーの「私」では力不足だったのでしょう。
「彼」は私の陰の部分だったのかもしれません。
- ともあれ、美人の奥さんから頼み事されるやら、やっぱり美人の女官を物の怪から救うやらで、すっかり張り切ってた「彼」ですが、まもなくそう調子に乗ってはいられない展開がやってくるのです。